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心理学

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2005年11月

大人用おむつ

051126_133901
父が要介護3で、
寝たきりではないが、もう自分でトイレが
出来なくなってる。

たまたまネピアのホームペ゛ージから
大人用おむつのサンプルプレゼントがあった・・

正直、夜中にトイレは大変で・・
母がつきそってはいるけど、朝までよく眠れない
日々になりつつある。まぁ・・年金ぐらしでもあり、
昼間二人で昼寝をしてはいるけど。
おむつをしてはどうか?・・なんだけど
どんなものがいいのかわからない。

赤ん坊の頃には布おむつしか使っていない世代でもある。

私の時も子供達にやっとパンパースが
売り出しはじめた頃であり、
まだ通気性その他はいまいちだったのか
一回使用しておしりが赤くなり、
紙おむつはうちの子には使用出来ないと、布おむつを3組に
汚れものをいれるのにスーパーのポリ袋に、
おもちゃに、ミルク瓶に、粉ミルク数回分・・と着替え、など
いろいろつめたママバックなるものを持ち、
すごい荷物ででかけなくてはならなかった事を
憶えてる。

大人のおむつから赤ちゃんのおむつに話を
うつしてしまったけど・・小さなサイズとは違い、
おおきなおしりを包むのである。
・・寝たきりであれば、おしりを持ちあげる事も重労働だ。

女だけがこういう労働を歳とった親のためにしなくてはならないのだろうか?
嫁の役割・・とされる事が多い。特に長男の嫁の立場に。
働く女性は子供の養育の頃は保育園に・・
歳をとったら、親の介護に・・・とかなりな負担を
しいられてると思う。
夫の一言、妻をいたわる、一言が・
かつての私にもほしかった。
結果、長男の嫁であり、義父母を見送ってから、離婚した・・

そろそろ忘年会の日程を・・

忘年会っていつごろからはじまったんだろう・・?
忘年会、とぐぐってみると、

・・お店、グルメな案内ばかりだなぁ・・

はてなダイアリーというのがあった。
忘年会とは、
単なる飲み会です。一年間ご苦労様、という名目がつきます。
続いて、年明けには新年会が待っています。

がっくり・・まんまじゃん。なんの説明にもなってない。
なら、なんで、忘年会、忘年会と毎年のように
名付けてやるのかしら?
12月は師走、というくらい、忙しい月だ。
さらにクリスマスなんていうイベントもある。
飲み会ばかり増やさなくてもいいじゃないか・・

といいつつ・・いつも顔あわせる会社のメンツじゃなく、
忘年会で顔を合わせるしかなかなか機会のない人との
交流は楽しみ。ふふふ・・・飲むぞー、じゃなく、食べるぞっ

@nifty:NEWS@nifty:女祈とう師に二審も死刑・仙台(共同通信)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:女祈とう師に二審も死刑・仙台(共同通信).

こんな怖い事件があったとは・・
除霊って・・あくまで祓うのは霊であって人じゃない。
気の固まりのようだったり、残留思念のようなものだったり、
憑いてる場合と思いこみで気魂のような時とか
いろいろあるはずだし。

よほど悩んで祈祷を頼んだのだろうけど、
暴行を加えられた上に死ぬなんて、それこそ
その方々が浮かばれない・・理不尽な死に方だもの。
気の毒。ほんとに確かな人に頼むべきだけど、
どういう人が確かな人なのか・・
なんてわからないよね・・

まぎらわしい

個人的アドレスに、個人名で、自分の事を少し
書きます・・と、メール相談かな?・・と
よーく読んで、思わず、レスをしてしまうとこだった・・
それがスパムメールとは・・

http://member.blogpeople.net/TB_People/tbp_14.html
こちらを見てわかった。

ここ数年、自分の事を人に言う機会がまったく無かったので。 自分の事を知って欲しいと
言う欲求にかられてしまいました。 メールの相手が何者かもわからないのも不安でしょうし。
恥ずかしい話ではありますが、少しお付き合い下さい。 ...
・・・で、離婚しただのなんだの・・という内容。

マジでまぎらわしいから、やめてほしい。
忙しいのに、読んだ時間すら、おしい・・・

誰かに必要とされたいのに・・

その誰かはキミじゃない 051115_163101


という漫画本を買った。
短編集でさまざまな男女が出てくる。

今ふうというか、
こんな生き方は私には想像も出来なかった。
生まれた時代が違うのか・・

でも、いやおそらく、20年くらい前に
生まれ、今の20代であったなら私も
この作者が描いてるような人物のひとりで
あったに違いないな・・・
http://item.rakuten.co.jp/book/3678115

国税に対する苦情や困りごとのある方

国税局のホームページに、
納税者支援調整官は、国税局や税務署の仕事に対する苦情や困りごと等の受付・相談に応じています。というのがあった。
早速下記の事で非常に困っている、悩んでいるので入力して送信した。
答えは返ってくるのでしょうか・・

15年の12月に父の名義の土地があり、湘南信金での借り換えの問題で、
認知症のため、父に土地を担保に連帯保証人になってもらう事が出来ず、やむなく、
生前贈与で名義を父の子は私を含めて3人いるので、三人の名義に特別贈与であれば、
贈与税もかからないと藤沢税務署の相談を受けて、登記をしました。
年度内に申告をしなくてはならないという説明はなく、他にも一時所得税がかかるとかいう話はなく
翌年、いきなり県税事務所から所得税の支払い通知がきて、それはなんとか支払いました。
登記費用もものすごく高かったのですが、なんとかしました。
お金がないので息子に借金しました。
以前やはり父の名義で埼玉の土地を生前贈与で孫にあたる、息子に贈与されたのですが、
その時はすぐに申告書が税務署の方から送られてきたので、申告しました。
贈与税も支払いました。今回も同じようにくるのかと思い、ですが、
去年こなかったので税金のかからない時は申告書もこないのだろう、と思っていました。
つい先日、申告についての問い合わせ書類がきて、担当の方に電話すると、
申告期日がすぎてるので、特別に当たらなくなるので、普通に贈与課税を払うか、
(1800万くらいすると言われた)しきりなおして、
元の父の名義に土地を戻して、また特別贈与にして来年度3月までに贈与申告するように、
とのことで、簡単に名義を元に戻して・・と言われますが、登記手数料も払えません。
年々商売をしての売上もまたおちているし、支払いものばしてもらいつつ、
去年の消費税も延納してもらったり、なんとか苦悩しつつ税金を納めています。
固定資産税の支払いも苦しいと思いながらもなんとかしなくてはと思ってます。
他の税金は一生懸命納めてします。今回のは今まで気がつかなかったのなら、
なんとか目をつむってもらって、父が亡くなった時に、相続税として申告するという事にしてもらえませんか?
もう77歳で慢性膵臓炎で糖尿で、認知症で、おむつもしてる状態で、
そろそろ死ぬかもしれないと思ってますし。ほんとにお金はないのです。
首をくくっておりた保険金でなんとかするしかないのかとか、
サラ金に税金のためお金を借りたりして・・破産でもするしかないのかとかろくな考えはうかびません。
まだ借金も4000万近くあるし。返済で大変な思いもしてます。
ほんとに今頃になってでなく、すぐに申告しないとならないんですよ、と
去年のまにあう時期に言ってほしかったです。
まにあわない時期にわざと言われてるような気がします

税金をしぼりとりたいのでしょうか?国民をもっと苦しめたいのでしょうか?
つらくてたまりません。 ・・・
書いても無駄なんだろうか。

@nifty:NEWS@nifty:歌手・女優の本田美奈子さん死去(読売新聞)

リンク: @nifty:NEWS@nifty:歌手・女優の本田美奈子さん死去(読売新聞).

38歳、まだまだこれから女盛り、・・
この年代で逝く人が結構いる。
女の厄年は以前は33歳と言われたけど
37、38あたりも厄年の仲間になったようで
神社やお寺に厄年の人、とかいてあったり。

体に変化がおきるのか、女として出産にかかわる歳なのか、
昨今は晩婚型でもあり、まだまだバリバリとキャリアウーマンで
がんばってる女性も多い。

日頃忙しすぎて、・・とか自分の体は過信しないで、
体をいたわりつつ。
でも、病は気から、ともいう、がんばろう。

何事も経験

かつて18で、父親の会社の事務員になった時・・
弟もいるのだから当然会社は弟が継ぐものと思っていた。

自分も私立の高校を出て、弟は推薦で
日大の電子工学部、そこそこお金はあるものと
思ってたのに、実際に入社すると、黒板にある
工事現場は「横田基地」という場所だった。

親は祖父のやっていた土木工事から上下水道空調設備業と
あらため、都の指定1号としてがんばっていた。
私が入った当時は、工事がこれだけ・・次の仕事が
なかなか、見積もりを出しても取引している上の建設業者
からなかなか仕事をまわしてもらえない。
見積もりでの利益は?・・の質問に父は1割ってとこかな・・と。
なんかどんぶり勘定じゃないか?・・それで
賃金や会社負担の社会保険料、ここにかけてる
生命保険・・父の接待交際費・・とにかく一番気になってるのが
「接待、接待」と子供の頃から飲み歩く父しか知らず、

会社にまで、つけで飲んでる請求書をもってあらわれた
新橋の女将さんとかいて。
経費削減とか、何か、新しい展望とか・・何も考えられず、
仕事がないんで、引き受けてしまったどうも元請けとうちの
間に入った怪しい商事会社の不渡り手形がまわり、倒産へ・・
手形を現金にしないと、人件費が支払えない、資金のない
状態で、給料だけでなく、大きな工事に日雇いの人たちの
宿泊費までもって、工期もかかり・・
あのとき、もっと強く経営のありかたとか助言出来る存在で
あったなら・・と今の私はそう思う。振り返ってももう
なくなってしまった原宿のもちビルだった跡地を思う。

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