涙出てます
<普遍の愛・・・母の歌う「七つの子」>
やり手のキャリアウーマンとして友人達の羨望を独占していた彼女が、
依願退職したのは突然だった。
当初は電撃結婚か起業かと噂となったが、社交的な性格が一変して引きこもりに
転じ、詮索や質問も憚られ、皆が縁遠くなった。
親友を自認していた私は、何度となく食事にも誘ってみたが、素っ気なく
断られ続けた。
「近所まで来たから」と偶然を装い、強引に自宅に上がり込み再会を果たすのに
二年もかかった。しかし、すぐに自分の行動力と思慮のなさを後悔する羽目となった。
彼女はアルツハイマー痴呆症を患う母親を引き取り、自宅で介護しながら在宅で
仕事をしていたのだ。徘徊、失禁と病状は進行して、介護から生じるストレスは、
華やかだった彼女を別人に変えていた。
「誰にも言えなかったのよ」打ち明けてホッとしたと彼女は言った。
自分の娘さえわからない母親は、質問を繰り返して、我々の会話を何度も遮った。
気が緩んだのか「何でわからないのよ!」彼女は怒鳴りつけると、堰を切ったように泣き出してしまった。私は現実の悲しさに胸が締め付けられ言葉を失った。
次の瞬間、今まで落ち着きなく動いていた母親が、泣く娘に近づき、彼女の躯を
強く抱きしめて歌い始めた。「烏なぜ啼くの 烏は山に…」四十年前にそうして
あやしたであろう穏やかな声で、やさしく彼女を撫でながら歌った。
遠いあの日、夕焼けを背に一緒に歌いながらの帰り道「可愛い可愛い…」のところでいつも目を細め、いかにも愛おしそうに微笑んでくれた母。
ずいぶん会っていない故郷の母の姿が重なって、私も涙がこぼれた。
「一人で大きくなったんじゃあないのよね」彼女は「お母さん、ごめんなさい」と
幼子のように泣きじゃくった。その日以来、さまざまな介護サービスや友人の協力を受け入れ、彼女は変わっていった。
よく笑い、よく歌うようになった。子を想い歌う母の「七つの子」は、
まるで魔法をとく呪文のような偉大な力で、彼女を孤独な呪縛から解放した。
(日本のうた こころの歌/エッセイコンテスト優秀賞作品)
この作品を読んで、涙した。
今現在、認知症の父がいる。母が介護にあたっているが
最近は愚痴ばかりで少々話しを聞くのもうんざりしていた。
父が亡くなったらもしかして母も同じになるんだろうか?とか次の
介護は私の番かとか、将来に夢も展望もなくなる思いを感じていた。
子供の頃には喘息で具合が悪くても看病もしてもらえず独りで孤独と病気と
戦ってきたのに、親が倒れたらめんどうみにゃならんの?なんか
わりにあわないぞ、と損得勘定で考えた事もある。
なってみなくちゃわからない、やってみなくちゃわからないけど・・
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